本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」おわりに

人類は、ヨーロッパが18世紀以降たどってきた道筋を、精神的には逆方向に走破しなければならない。つまり、世界は無限であるという考え方から、世界は閉じているという考え方への移行だ。こうした努力は、不可能でもないし、ありえないことでもないが、ただ単に確実性に乏しい。この不確実性こそが、人類史の重苦しい要因なのだが、現代は、この不確実性によって、たった一つの文明の将来が危機にさらされるという、人類史上初の時代なのである。

林昌宏 訳


*経済成長の必然性を見直し、消費基準を変えない限り、やがて人類を養う地球の限界がやって来ると指摘している。有限の世界である限り、経済成長も有限であろう、ということだろう。

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第14章

金融市場の場合では、行動様式を均質化させることが規律になっていた。すべての金融関係者がまったく同じことをやろうとしたのだ。信用金庫は銀行になろうとした。商業銀行は投資銀行になろうとした。投資銀行は投機を行なうヘッジファンドになろうとした。採用する戦略が正しいのかを、外部から判断できる者はいなくなった。そして全員が、同時期に、同じ疾病で息を引き取った。
われわれはそうした状況にあるのだ。今後、資本主義は、ほかのすべてに代わる文明になるが、その正当性が外部から判断されることはない。経済と文化の相互接続が規律になったので、全体の機能不全というリスク回避に、全員がさらされるようになったのである。

林昌宏 訳


*生態系が多様性を失うと致命的な危機となるように、金融市場においても行動の多様性の欠如がリスクの増加に繋がり、金融危機を招いたと指摘している。

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第9章

経済成長は、政府の財源を膨張させるだけではなく、個人の私的な幸せにも影響をおよぼす。1975年のフランス人は、1945年のフランス人よりも比較にならないほど裕福だが、彼らがより幸せだったというわけではない。なぜだろうか?その答えは単純だ。現代の幸せは、実現した経済的な豊かさのレベルに比例するのではなく、経済的な豊かさの出発点がどこであろうと、その増加レベルに比例するからである。

現代社会は、経済的な豊かさよりも、経済成長に飢えているのだ。(すでに)経済的に豊かであるが停滞している国よりも、(急速に)経済的に豊かになる貧しい国で暮らすほうが幸せなのだ。

林昌宏 訳

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第6章

奇妙なパラドックスが、くっきりと浮かぶ上がってきた。高度経済成長により、人々は世代間の絆を持続できると信じるようになった。福祉国家がつくりだした財政面の連帯は、家族と置き換わっていった。というのは、人々はマネーの面で独立するようになると、親の面倒をみないようになったからだ。ところが、経済成長が減速すると、福祉国家がつくりだした連帯の連鎖は弱まってしまったのだ。このようにして人々は、すべてを失った。家族の絆は崩壊し、福祉国家は財政上の重圧になったのである。

林昌宏 訳


*年金システムは経済が急成長する間は圧倒的に承認されるが、減速した場合困難になる。しかし元々家族の世代間で結ばれていた絆は、国家の財政によって結ばれる絆(=年金システム)に取って代わられており、どちらにも頼ることが難しくなってしまったということ。

アーネスト・ゲルナー(ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第6章より)

持続的に経済成長する社会は、物質的な改善によって社会的に有害な作用をやわらげてくれる。この理想の非常に大きな弱点は、この理想が社会的な退廃によって資本をすり減らすことでしか存続できず、また、富の象徴が一時的に枯渇する時や、時代の流れが変わる際には、社会的正統性の喪失を克服できないことである。

林昌宏 訳

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第5章

近代社会の労働者は、自分の運命にのしかかる新たな不確実性の奴隷になったのだ。技術進歩は創造的であると同時に破壊的であり、その境界はめまぐるしく変化する。したがって、経済成長が力強い状態にあるかぎりは、社会集団が負う傷口を手当てすることは可能であり、すべてが順調に推移する。ところが、経済成長が減速、さらには大型不況の影響でマイナスになった時には、社会の均衡は、粉々に砕け散ってしまうのである。

林昌宏 訳

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第3章

経済学にとって、マルサスの法則は「陰鬱な科学」と呼ぶにふさわしかった。フランスのコンドルセなどの啓蒙思想家にとって、貧窮や災いの原因は、「悪い」人間性ではなく、悪い政府にあった。啓蒙思想に傾倒していた父をもつマルサスは、これとはまったく逆のことを示そうと試みた。つまり、よい政府によって、公共の安楽はいずれ損なわれるという考えである。平和・社会的安定・公衆衛生などの善と思われることは、呪いに変わる。なぜならば、これらすべては人口の急増を促し、人々はいずれ貧窮するからだ。逆に、戦争・暴力・粗悪な生活は、逆の状況を作り出す。これらは人口増に歯止めをかけるので、(生き残った者たちは)よりよい暮らしを送ることができる。実際に、14世紀中頃からヨーロッパを襲ったペストの大流行によって、生き残った者たちの経済状況は、改善されたではないか……。

林昌宏 訳

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

If a mouse could fly,

   Or if a crow could swim,

Or if a sprat could walk and talk,

   I’d like to be like him.

 

If a mouse could fly,

   He might fly away;

Or if a crow could swim,

   It might turn him grey;

Or if a sprat could walk and talk,

   What would he find to say?

 

もし ネズミが とべるなら

  もし カラスが およげるなら

もし ニシンが あるいて しゃべれるなら

  わたしは そんなふうに なりたい

 

もし ネズミが とべるなら  

  とおくへ とんでいくだろう

もし カラスが およげるなら

  はいいろに なるだろう

もし ニシンが あるいて しゃべれるなら

  どんなことを みつけて いうのだろう

 

安藤幸江 訳  

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

If hope grew on a bush,

   And joy grew on a tree,

What a nosegay for the plucking

   There would be!

 

But oh! in windy autumn,

   When frail flowers wither,

What should we do for hope and joy,

   Fading together?

 

もし きぼうが しげみにそだつなら

   そして よろこびが きにそだつなら

そこには どんな はなたばが

   できるだろう

 

でも ああ!  かぜのふくあきに

   よわい はなばなは かれる

いっしょに きえていく

   きぼうと よろこびを どうしたらよいのだろう

 

安藤幸江 訳  

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

Swift and sure the swallow,

   Slow and sure the snail:

Slow and sure may miss his way,

   Swift and sure may fail.

 

はやくて たしかな つばめ

   ゆっくり たしかな カタツムリ

ゆっくり たしかでも みちにまよい

   はやくて たしかでも おちることがある

 

安藤幸江 訳  

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

If all were rain and never sun,

   No bow could span the hill;

If all were sun and never rain,

   There’d be no rainbow still.

 

もし あめばかりで ひのひかりが なかったら

   おかに にじは かからない

もし ひのひかりばかりで あめが なかったら

   やっぱり にじは かからない

 

安藤幸江 訳  

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

What are heavy? sea-sand and sorrow:

What are brief? to-day and to-morrow:

What are frail? Spring blossoms and youth:

What are deep? the ocean and truth.

 

なにが おもいの        うみのすなと かなしみ

なにが みじかいの     きょうと あした

なにが もろいの         はるのはなと わかさ

なにが ふかいの         おおきなうみと しんじつ

 

安藤幸江 訳   

クリスティーナ・ロセッティ「シング・ソング童謡集」

Who has seen the wind?

   Neither I nor you:

But when the leaves hang trembling   

   The wind is passing thro’.

 

Who has seen the wind?

   Neither you nor I:

But when the tres bow down their heads

   The wind is passing by.

 

だれが かぜを みたかしら

  わたしも あなたも みていない

でも このはが ゆれているとき

  かぜは とおっている

 

だれが かぜを みたかしら  

  あなたも わたしも みていない

でも きのてっぺんが たわんでいるとき

  かぜは とおっている

 

安藤幸江 訳  

 

 

ダニエル・コーエン「経済は、人類を幸せにできるのか?」訳者あとがき

朝日新聞のインタビュー

「経済成長は、人間社会にとって自然なことではない。18世紀までは、経済的、技術的に進歩があっても、それは人口の増加に寄与するだけで、一人あたりの所得を増やすことはなかった」。けれども「(現代人でも)一人一人の幸福は増えてはいない。経済が成長すれば、一人一人はより多くの財を手にできるが、より幸福にはならない、ということだ」と述べている。

  では、経済成長によって豊かになったことで、人はなぜ幸せにならなかったのか?との記者の質問に対し、「人が幸せを感じるのは成長が加速する時であって、成長が止まれば消える」とし、「人を幸せな気分にするのは成長であって、豊かさそのものではない。『もっと、もっと』という感覚だ」とつづけた。つまり経済成長とは「麻薬中毒」のようなものであって、21成長に生きる私たちは、エコロジー上の大災害を招くこの中毒から、脱出すべきだと説いている。そして「富というものは、働かなければいけない時間を減らすためにあるものだ。貧しい人がたくさん働くのは、まさに貧しいからだ。余裕のある者も同じくらいに働くべきだという考えはばかばかしい」と断言し、(働きすぎの)インタヴュアーを唖然とさせ、読者から大きな反響があった。

 

林昌宏 訳   

ダニエル・コーエン「経済は、人類を幸せにできるのか?」第5章

貿易は、最も脆弱な者を排除し、最も強い者を太らせながら展開する傾向がある。こうして貿易は、最も非効率的な企業を倒産させつつ、全体の生産性を向上させるというわけだ……。しかし残念なのは、これらの新たな理論の枠組みにおいても、失業者全員を救済するのは無理だということだ。優良企業が敗者全員を吸収するというリカードの想定は非現実的なのだ。グローバリゼーションは、やはり社会に傷跡を残す……。
今後、国際貿易は、リカードの比較優位論の新たな解釈に従って機能する。すなわち、それは脆弱な者は消え去り、適応力のある者が繁栄するという、ネオダーウィニズムと呼ばれる論理だ。だが、市場機能だけでは、脆弱な者の社会復帰は果たされない。だからこそ、勝者が敗者に手を差し伸べるための補助的なメカニズムを整えることが社会の課題になったのだ。もしそれができないのなら、人々はグローバリゼーションを即座に拒否するだろう。

林昌宏 訳

*比較優位論→国際貿易において、商品の生産費を他国と比較し、優位の商品を輸出し劣位の商品を輸入すれば、双方が利益を得て国際分業が行うことができる、という説。