本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

タゴール「ギタンジャリ」

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王子さまのような衣装や
宝石のくさりを 首につけた子供は
遊びの喜びを すっかりなくしてしまいます。
一あしごとに その衣装が 邪魔をしますから。

 

それがすり切れてしまったり
塵に まみれることを恐れて
子供は 世の中から 離れて
動くことさえ こわがるでしょう。

 

母よ 飾りの束縛は 無益です。
子供を 健やかな大地の塵から しめだして
みんなのくらしの中の すばらしいお祭りに 行くたのしみを
うばい去ってしまうのですから。

 

高良とみ 訳  

 

 

ターナー「希望の虚偽」

〈グリゾンの雪崩〉に付した詩


沈みゆく太陽は別れの悲しみとともに
不吉な輝きを放ちながら近づく嵐
舞っては積もる雪また雪
途方もない重さで岩の障壁を打ち砕く
松の森も一瞬にして崩壊し
そそりたつ氷河も崩落する
時を経たすべてのものが押しつぶされる
残るは滅びのみ
人の苦悩、希望も——すべてを覆いつくす

 

2018ターナー展にて  

ミヒャエル・エンデ「遠い旅路の目的地」

  その後の十年というもの、シリルは、定住を知らぬ旅の毎日を続けた。シリルが「遠征」と名付けた生活にもまったく慣れ、それがあたりまえの生き方となった。いつかどこかで、さがすものが現実に見つかるという、若年の頃の甘い期待は、言うまでもなくとうの昔に消え去った。その逆で、今ではもうそれを見つけたいとシリルは思っていなかった。見つかれば、その扱いに困ったことだろう。シリルは自分のおかれた状態を次の数式にあらわしてみた。つまり、目的地への到着を願うことができる、そのことと、旅路の長さは反比例するというものだ。シリルの考えでは、この点にこそ人間の努力全体に共通する皮肉がある。つまり、期待が持つ真の意義とは、それがついに満たされないところにこそあるのだ。満たされた期待は全部、結局は失望に終わる運命なのだから。

 

田村都志夫 訳  

ミヒャエル・エンデ「遠い旅路の目的地」

だが、「思い出」という言葉が何を意味するというのか。意識は思い出の上に築き上げられるが、それはなんと弱々しいことか。今、話した、読んだ、おこなったことは、次の瞬間にはすでにもう現実でない。それはただ記憶の中に存在するにすぎない——人生そのもの、いや、この世界全体がそうなのだ。現実と呼べるものは、それをとらえようとするときには、すでに過ぎ去った無限小の現在にすぎない。私たちは、今朝、いや一時間前、ほんの一瞬前に出現したのかもしれない、ただ三十年、百年、千年間のでき上がった記憶を持って出現したのかもしれない。確かにはわからないのだ。思い出とは何か、それはどこから来るのか、それを知らないかぎり、確かなことはわからない。しかし、もしそうならば、時間とは時を知らぬ世界を意識が知覚するかたちにほかならないのなら、近い将来や遠い将来に体験することの思い出があって、なぜいけないのか?

 

田村都志夫 訳   

ミヒャエル・エンデ「遠い旅路の目的地」

「そうして、人はなんでも見つけた。太古の怪獣や獣人の骨なども——なぜだと思いなさる。それをさがしたからじゃ。そうしてこの世界全体を造り上げた。少しずつ造り上げたのじゃ。そして人は、神が世界を造りたもうた、と言っている。しかし、この世界がどんな具合か見てごらんなされ。ごまかしや矛盾がひしめき、酷いことや暴力であふれ、強欲や、大小の、意味もない苦しみでいっぱいじゃ。そこでおまえさまに尋ねるが、公正で崇高だと人の言う神が、どうしてこのような不完全なものを、造りたもうたのじゃ?人間こそが創造主なのだが、人はそれを知らぬ。知りたくもないのじゃろう。自分で自分がおそろしいからな。」

 

田村都志夫 訳  

ミヒャエル・エンデ「遠い旅路の目的地」

「そうして、人はなんでも見つけた。太古の怪獣や獣人の骨なども——なぜだと思いなさる。それをさがしたからじゃ。そうしてこの世界全体を造り上げた。少しずつ造り上げたのじゃ。そして人は、神が世界を造りたもうた、と言っている。しかし、この世界がどんな具合か見てごらんなされ。ごまかしや矛盾がひしめき、酷いことや暴力であふれ、強欲や、大小の、意味もない苦しみでいっぱいじゃ。そこでおまえさまに尋ねるが、公正で崇高だと人の言う神が、どうしてこのような不完全なものを、造りたもうたのじゃ?人間こそが創造主なのだが、人はそれを知らぬ。知りたくもないのじゃろう。自分で自分がおそろしいからな。」

 

田村都志夫 訳   

ミヒャエル・エンデ「自由の牢獄」

「生まれてからこれまでというもの、おまえはあれやこれやと決めたときに、理由があると信じていた。しかし、真実のところ、おまえが期待することが本当に起こるかどうかは、一度たりとも予見できなかったのだ。おまえの理由というのは夢か幻想にすぎなかった。あたかも、これらの扉に絵が描かれていて、それがまやかしの指標としておまえをだますようなものだ。人間は盲目だ。人間がなすことは、暗闇の中へとなすのだ。ある者は結婚を祝い、2日後にはすでにやもめになることを知らぬ。またある者は苦悩と苦難がゆえに首をくくろうとするが、富をもたらす知らせがもうすぐ届くことを知らぬ。さらに、ある者は刺客から逃れるため、孤島に渡り、あろうことか、そこでその刺客とばったり出会うのだ。」

 

田村都志夫 訳  

リルケ「若き詩人への手紙」

一つの芸術作品に接するのに、批評的言辞をもってするほど不当なことはありません。それは必ずや、多かれ少なかれ結構な誤解に終るだけのことです。物事はすべてそんなに容易に摑めるものでも言えるものでもありません、ともすれば世人はそのように思い込ませたがるものですけれども。たいていの出来事口に出して言えないものです、全然言葉などの踏み込んだことのない領域で行われるものです。それにまた芸術作品ほど言語に絶したものはありません、それは秘密に満ちた存在で、その生命は、過ぎ去る我々のそばにあって、永続するものなのです。

 

高安国世 訳  

リルケ「若き詩人への手紙」

必然から生まれる時に、芸術作品はよいのです。こういう起源のあり方の中にこそ、芸術作品に対する判断はあるのであって、それ以外の判断は存在しないのです。だから私があなたにお勧めできることはこれだけです、自らの内へお入りなさい。そしてあなたの生命が湧き出てくるところの深い底をおさぐりなさい。その源泉にのみあなたは、あなたが創作せずにいられないかどうかの答えを見いだされるでしょう。その響きを、あるがままにお受取り下さい、その意味を明かそうとしてはなりません。おそらくあなたが芸術家になる使命を持っていらっしゃることがわかるでしょう。そうなれば、あなたはその運命を自分にお引受けなさい、そしてそれを、その重荷とその偉大さをになって下さい、決して外からくるかも知れない報酬のことを問題になさってはなりません。なぜなら、創造するものはそれ自身一つの世界でなくてはならず、自らのうちに、また自らが随順したところの自然のうちに、一切を見いださねばならないからです。

 

高安国世 訳  

リルケ「若き詩人への手紙」

あなたの御判断に、それ自身の静かな、乱されない発展をお与えになって下さい。それはすべての進歩と同じように、深い内部からこなければならぬものであり、何物によっても強制されたり、促進されたりできるものではありません。月満ちるまで持ちこたえ、それから生む、これがすべてです。すべての印象、すべての感情の萌芽は、全く自己自身の内部で、幽暗の境で、名状しがたいところで、無意識のうちに、自己の悟性の到達し得ないところで、安全に発育させるようにし、深い謙虚さと忍耐とをもってあらたな明澄さの生れ出るのを待ち受ける、これのみが芸術家の生活と呼ばれるべきものです、理解においても創作においても。
そこでは時間で量るということは成り立ちません。年月は何の意味をも持ちません。そして十年も無に等しいのです。およそ芸術家であることは、計量したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に追い立てることなく、春の嵐の中に悠々と立って、そのあとに夏がくるかどうかなどという危惧をいだくことのない樹木のように成熟すること。結局夏はくるのです。だが夏は、永遠が何の憂えもなく、静かにひろびろと眼前に横たわっているかのように待つ辛抱強い者にのみくるのです。

 

高安国世 訳  

リルケ「若き詩人への手紙」

孤独が大きなものであることに気づかれたならば、それをお喜び下さい。なぜなら(そうあなたは自問なさって下さい)偉大さを持たない孤独とは何ものであろうか、と。孤独はただ一つあるきりで、それは偉大で、容易ににない得られないものです。そしてほとんどすべての人にとって、その孤独をできるものならなんらかの、どんな月並みな安価な付合いとでもいいから交換したいと望むような時期がくるものです……しかしそれこそおそらく孤独が成長する時なのです。 なぜなら、その成長は少年のように苦痛を伴い、春の初めのようにものがなしいものです。しかしそれであなたがまどわされてはなりません。必要なことはしかし結局これだけです、孤独、偉大な内面的孤独。自己自身の中へはいり、何時間も誰にも会わないこと、——これは誰にも成し遂げ得るはずのものです。子供の時、大人の人がさも大事そうな、大へんなことのように見える物事に——しかしそれは大人が忙しそうに見え、子供は大人のすることを何一つ理解することができなかったからにすぎないのですが——かかわり合って右往左往する時に、孤独であったような、そのような孤独。

 

高安国世 訳