本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

サマセット・モーム「月と六ペンス」

「この世でもっとも貴重なものである美がだね、まるで浜辺の石ころみたいに、通りすがりのボヤッとした人間がいいかげんな態度で拾えるような、そんなものであっていいと考えているのかい?
  美はね、素晴らしいもの、不可思議なものなんだ。芸術家が彼の魂の苦悶を通じて、混沌とした世界の中からつかみだしてこなければならない。そして、それが創りだされても、すべての人に理解できるわけではないんだ。
  それを認識するためには、芸術家の冒険をみずから繰り返す必要がある。作品は、芸術家が君に歌ってくれるメロディーだ。それをふたたび君自身の心に響かせるためには、それなりの知識と感受性、そして想像力がいるんだよ」

 

大岡玲 訳  

サマセット・モーム「月と六ペンス」

「この世は、辛くてきびしいものだよ。ぼくらは、わけも知らされずにこの世に生まれ、また、どことも知れないところに去っていかなければならない。だから、本当に謙譲でなければいけないんだ。無事平穏であることの美を讃えなければならない。運命の神がぼくらに目をとめないよう、ひっそりと暮らしていくべきなんだ。
  そして、単純で無知な人々の愛を求める。なぜなら、彼らの無知は、ぼくらの知識に勝っているのだから。黙って、ささやかな片隅にいることで満足し、彼らのごとくにやさしく従順になる。それこそ、人生の知恵なんだ」

 

大岡玲 訳   

サマセット・モーム「月と六ペンス」

  私たちは皆、世界の中で孤立している。真鍮の塔に閉じ込められ、他の人々とは記号でしか通じ合えない。そして、その記号は、誰にとっても共通の価値を持つとは言えないのだ。したがって、意味はあいまいで不確かにしかなりえない。
  私たちは、哀れにも、心の内にある宝を何とかして他人に伝えようとするのだが、相手はそれを受け取るだけの力がないのだ。そして、仲間を真に知ることなく、仲間に知られることもなく、並んで歩きながら一緒になれもせず、ただ孤独に歩いていかねばならない。

 

大岡玲 訳  

アントニオ・タブッキ「島とクジラと女をめぐる断片」

  手のつけられない凪で、灼熱の太陽が照りつけ、大洋にぼってりとした暑気がのしかかるといった、そんな日々こそ、クジラたちが、陸にいた遠い祖先の記憶に戻ることを許される稀有な時間なのではないかと、僕は想像する。そのためには、あまりにも密度の濃い、完璧な自己集中が要求されるので、彼らは死んだように深い眠りに落ちるのではないか。てかてかと光る、大樹のような盲目の胴体を海に浮かべて、彼らは、夢見るように、はるか彼方の過去に、まだ彼らの鰭が、手まねきしたり、挨拶したり、愛撫したりすることができる乾いた四肢であったころ、彼らが高く繁った花々や草を縫って、まだマグマの基本的要素の構成を検討中で、仮説でしかなかった大地を駆け抜けていた、いまは遠いあのころを思い出しているのではないか。

 

須賀敦子 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

時々、彼は、人と一緒にいるのが、たまらなく不安になり、強く孤独を欲することがある。そんな時は、彼は、ひとり郊外へ散歩に出るのだったが、そこには、緑の野をわけて、小川が一筋流れており、両側には、刈り込まれた木立がずっと並んでいる。その堤を歩いていると、彼は、なぜかしらぬが、幸福だった。

 

中野好夫 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

最初、フィリップは、ローズの友情に対しては、ただ感謝あるばかりで、したがって、彼の方からは、なにも要求しなかった。ただあるがままに、物事を受け取り、それで十分、幸福だった。だが、そのうちには、ローズの八方美人ぶりが、たまらなくなった。もっと独占的な友情が、欲しかった。今までは、恩恵として受け取っていたものを、今度は、権利として欲しかった。ローズと他の仲間たちとの交情を、彼は、嫉妬の眼をもって、眺めた。

 

中野好夫 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

  フィリップは、六年生に進級した。だが、今では学校そのものを、心から憎んだ。野心が失くなってみると、よくできようと、できまいと、そんなことはどうでもよかった。朝、目が覚めても、また一日、たまらない苦役かと思うと、がっかりした。命令だから、しなくちゃならないというのには、もう倦き倦きした。一切の制限、束縛が、なにも不条理だから、いやというのではなくて、そもそも制限、束縛なるが故に、たまらなかったのだ。無性に、自由が恋しかった。すでに知っていることをくりかえしたり、あるいは頭の悪い奴のために、こちらははじめからわかっていることを、またコツコツやらされるなどは、とうていもうたまらなかった。

 

中野好夫 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

「むろん学校というものはね、普通の人間のためにできているのだ。孔はな、みんな円いものときまっとる。栓の方で、まあ、どんな形をしているにしろだな。なんとか、それらに嵌らなくちゃいかん。普通の人間以外のものに、そう、かかずらっている時間は、ないからな。」

 

中野好夫 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

  人生の旅人が、現実をただ現実として、そのまま受け容れるようになるまでには、いかに広い不毛の国、嶮しい国を、越えなければならないか、それは、まだ彼には、わかっていなかった。青春を幸福だなどとは、一つの迷妄、それもすでに青春を失ってしまった人間の迷妄なのだ。しかも青年たちの頭は、なまじ注入された、誤った理想で、一ぱいなために、自分たちを、不幸と観じ、実際現実と接触するごとに、敗れ、そして傷つくのだ。いわば、陰謀の犠牲のようなものだった。というのは、彼等の読書、それは、選択の必要から勢いおのずと理想的になるのであり、また年長者たちの話、これはまた、徒らに、忘却というバラ色の靄を通して、過去を見ているのだが、その両者が相俟って彼等をただ一途に、非現実的な人生へと用意するのである。

 

中野好夫 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

「人生ってものはね、生きるためにあるのだ。なにもそれについて書くためにあるんじゃない。僕の目的は、人生が提供してくれる、いろいろさまざまの経験を探しもとめ、生の一瞬一瞬から、それが与えてくれる情緒を、もぎとることなのだ。創作などというものは、要するに、この生から快楽を吸いとってしまうかわりに、むしろ生に快楽を加えるための、美しい機能にすぎないのだ。」

 

中野好夫 訳  

サマセット・モーム「人間の絆」

「一方には、社会があり、他方には、個人がある。しかもどちらもが、それぞれ自己存続をもとめて闘っている有機体なのだ。力対力。そして僕は、ただ一人立って、社会というものを受け容れなければならない。もっとも、いやだというわけではない。つまり、社会という奴は、僕が税金を払う代償として、ちゃんと僕という弱い人間を、僕より強いものの専横からまもってくれる。だが、僕がその掟にしたがうのは、そうするよりほか仕方がないから従うのであって、なにも法の正しさを承認したからでは、決してない。正しいなどとは毫も思ってない。ただ力を認めているだけさ。だから、保護してくれているその警官諸君の給料を僕等が払い、またもし徴兵制のある国に住んでいるとすればだね、僕等の家と土地とを、侵入者から守ってくれる軍隊に御奉公すれば、それでもう僕は、社会とは立派に五分五分だと思っているのだ。それ以外は、僕は、向うが力でくるのなら、こっちは狡さで対抗してやる。社会は社会で、自己保存のために、いろんな法をつくっている。そして、もしそれを破れば、僕は監禁か、でなければ死刑だ。つまり、社会は、それだけの力を持っているから、それがまた正義ということにもなる。で、かりに僕が法を破るとする、そりゃ、それに対する国家の報復を、僕は甘んじて受けはするよ。だが、それを刑罰だなどとは、決して考えやしないし、またなにか悪いことをしたために、有罪になったのだなどとも、断じて感じないねえ。社会というやつはね、やれ、名誉だの、やれ、富だの、やれ、世間のよい評判などというものを持ち出してきては、僕等の奉仕を誘惑するんだよ。だが、僕にとっては世間の評判なんて、風馬牛。名誉も軽蔑、金なんぞは、なくったって、いくらでもやっていける。」

 

中野好夫 訳  

 

サマセット・モーム「人間の絆」

「画家ってものはね、その眼で見る物から、一種独特の感動を受ける。すると、それを、なんとかして表現しなければいられないのだ。しかも彼は、なぜだかはわからんが、ただ線と色とによってしか、その感情を表現することができないのだ。音楽家も、同じだ。たとえば、一行か二行読む、とある特定の音の結合が、自らにして、彼の頭に浮かんで来る。なぜしかじかの言葉がしかじかの音を、彼のうちに呼び起こすか、そんなことは、彼は知らない。ただ、そうなるというだけなんだ。そうだ、批評なんてものが、いかに無意味か、もう一つ理由をいってやろう。本当に偉大な画家ってものはね、彼が見るままの自然を、世間に向って、押しつけるものなんだよ。ところが、次ぎの世代になると、別の画家は、また別な風に、世界を見る。ところが一般世間って奴は、彼によって、彼を判断するんじゃなくて、彼の先行者によって、彼を判断するのだ。だから、たとえば僕等の親たちに対して、バルビゾン派が、ある種の木立の見方を教えた。ところが、モネが出て、まるで違った描き方をすると、人々はいうんだ、木は、そんなもんじゃないってね。そもそも木なんてものは、画家が、それをどう見るか、それ一つで、決まるもんだなんてことは、全然気がつかないのだ。僕らはね、内部から、外に向って、物を描く——たまたま僕らの眼を、世間に押しつけることができれば、世間は、大画家というし、出来なければ、頭から無視してしまう。だが、僕らは、いつも同じなんだ。偉大だろうが、つまらなかろうが、そんなことは、僕等にとって、なんの意味もない。僕等が制作する、その後に起こることなどは、一切無用。僕等は、描いているその時に、制作からえられる一切のものは、すでに吸い取っているのだ。」

 

中野好夫 訳   

サマセット・モーム「人間の絆」

「君も聞くだろう、世間の奴等は、貧こそは、芸術家に対する最上の刺激だなどというのをね。そんな奴らは、まだ貧の刀剣を、本当に、肉体に感じたことのない奴等なんだ。貧が、いかに人間を、さもしくするものであるかを、知らないのだ。貧は、とめどなく、人間を卑屈にし、その翼を剪りとり、まるで癌のように魂に、食い入ってゆく。なにも、金持であることを、願うんじゃない、ただ人間としての威厳を保ち、心置きなく仕事ができ、鷹揚に、おおらかに、そして独立した人間として、暮していけるだけのものが、欲しいのだ。作家にしろ、画家にしろ、私は、ただその芸術だけを頼りにして、食べている人を、本当に心から気の毒に思う。」

 

中野好夫 訳