本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ボルヘス「ボルヘス詩集」(詩集「創造者」より)

詩法

時と水から成る河を眺めながら、
時もまた河であることを想い、
われわれは河のように消えること、
人びとの顔も水のように過ぎていくことを知り、

目覚めは、夢みていないと夢みる
別の夢であり、われわれの肉が
恐れる死は、人が夢と呼ぶ
あの夜ごとの死であると感じ、

一日に、或いは一年に、人間の日々と
年々の一個の象徴を読みとり、
歳月のむごい仕打ちを楽音に、
さやめきに、表徴に換え、

死のうちに夢を、黄昏のうちに
細やかな黄金を見てとる。これこそが、
不滅の、哀れな詩なのだ。詩は
黎明や落日のように回帰する。

夕暮れにはときおり、一つの影が
鏡の奥からわれわれを凝視する。
芸術は、己れの顔をわれわれに教える、
あの鏡のようなものであるのだろう。

伝えられるところでは、オデュッセウスは驚異に倦み、
緑ゆたかな慎しいイタケーを望みみて、
懐しさに涙したという。芸術は驚異ではなく、
緑ゆたかな、あの永遠のイタケーなのだ。

それはまた、そこを過ぎ、そこに留まる
無涯の河に似ており、この無涯の河のように
同一の人間であって別の人間である、変幻自在の
ヘーラクレイトスその人の鏡なのだ。

鼓直

ボルヘス「ボルヘス詩集」(「ブエノスアイレスの熱狂」より)

散策

香料入りのマテ茶のように芳しい夜が
遠い平原を招き寄せる。
ぼくの孤独の道連れの
夜の街はひっそりと静まり返って、
どこまでも続いている道には不安な気配が漂う。
夜風は平原の予感を、
別荘の安らぎを、ポプラの記憶を運んでくるが、
これらは硬いアスファルトの下、
家々の重みに押し潰され
閉じ込められた地面を戦慄させるだろう。
薄暮には何かを期待する少女を思わせた
バルコニーも、今はもう閉ざされている。
油断のならない猫そっくりな夜が
意味もなくバルコニーを脅かしている。
静寂が玄関のあたりを支配している。
深夜の豪勢な時計が
その虚ろな影に
茫洋とした時を惜しげもなく注ぎ込む。
いかなる夢も呑んでしまう
厖大な時間。
日々の営みが
貪欲に計測するものとは違った、
魂ほどの広がりのある時間。
この街を眺めているのは、ぼくだけだ。
ぼくが眼を逸らせば、街は消えるだろう。
(とげとげしい忍び返しをつらねて
果てしなく続く塀と、
おぼおぼしい光を投げている
黄色い街灯が見える。
瞬いている星が見える)。
昼間を覆っていた
天使の黒い翼のように、
限りない生気にみちた夜の闇が
ささやかな街路を消していく。

鼓直

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第1章

  未来では技術的になにが実現可能かという長期予報がいくつも立てられているが、その多くは、未来にはものごとがどれほどの勢いで進展するかを過小評価している。そうなるのは、我流の用語で言うと、「歴史的指数関数的」展望ではなく、「直感的線形的」展望に基づいた予想をしているからだ。次章で説くことになるが、わたしのモデルを見れば、パラダイム・シフトが起こる率が10年ごとに2倍になっていることがわかる。こうして、20世紀の間、進歩率が徐々に高まり、今日の率にまでなるに至った。20世紀の100年間に達成されたことは、西暦2000年の進歩率に換算すると20年間で達成されたことに相当する。この先、この西暦2000年の進歩率による20年分の進歩をたった14年でなしとげ(2014年までに)、その次の20年分の進歩をほんの7年でやってのけることになる。別の言い方をすれば、21世紀では、100年分のテクノロジーの進歩を経験するのではなく、およそ2万年分の進歩をとげるのだ(これも今日の進歩率で計算する)。もしくは、20世紀で達成された分の1000倍の発展をとげるとも言える。

小野木明恵 訳  


*指数関数的  定数を掛けることで繰り返し拡大する
   線形的        定数を足すことにより繰り返し拡大する     

 

 

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第2章

  宇宙の誕生から生命体の進化が最初の一歩をふみだす(原始細胞、DNA)までに何十億年とかかったが、その後の進歩は加速化されている。カンブリア紀の大爆発の時代には、主要なパラダイム・シフトは、ほんの数万年ごとに起こっている。時が下り、数百万年の間に原人、旧人などヒト科の進化が進み、ほんの数十万年を経てホモ・サピエンスが出現した。テクノロジーを創造する種が出現すると、指数関数的なペースが急速に高まり、DNAがタンパク質の合成を指示するという形での進歩では追いつかなくなり、進化の主役は、人間が作りだしたテクノロジーに交代した。だからといって生物の(遺伝的な)進化が続いていないわけではないが、秩序を向上させる(あるいはコンピューティングの有効性と効率性を高める)という点で、進化を先導する立場にもはやない。
  前の章で述べたように、新しいパラダイムの全体としての採用率は、テクノロジーの進歩率と並行して上昇しており、現在のところ、10年ごとに2倍になっている。つまり、新しいパラダイムを採用するまでの時間が、10年ごとに半分になっているということだ。この率でいけば、21世紀のテクノロジーの進歩は、200世紀分の進歩に相当する(線形的展望)ということになる(西暦2000年の進歩率での計算)。

小野木明恵

 

パラダイム・シフト →ものごとを遂行するための手法や知的プロセスにおける大きな変化のこと。
パラダイムの発展は三段階に分かれる。
1、 遅い成長 (指数関数的成長の初期段階)
2、急速な成長 (指数関数的成長の後期にくる爆発的な段階)
3、ひとつのパラダイムの成熟に伴い、発展が横ばいになる。この段階では、次のパラダイム・シフトに向けた圧力が増す。テクノロジーの例であれば、次のパラダイムを創造するための研究費用が投資される。

  このサイクルが繰り返され、パラダイム・シフトの間隔はますます短くなり、指数関数的成長を続ける。生物進化のプロセスも、テクノロジー進化のプロセスも、同様のサイクルをたどり、指数関数的成長が続くことを、カーツワイルは指摘している。   

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第3章

  ここまでの分析に基づけば、人間の脳の機能を模倣できるハードウェアが、2020年あたりにはおよそ1000ドルで手に入ると予測するのが妥当だ。人間の脳の機能性を模写するソフトウェアはその10年後には出てくるだろう。それでも、ハードウェア・テクノロジーのコストパフォーマンスと容量、速度の指数関数的な成長は、その間も続き、2030年には、ひとつの村に住む人間の脳(約1000人分)が、1000ドル分のコンピューティングに相当するようになる。2050年には、1000ドル分のコンピューティングが、地球上の全ての人間の脳の処理能力を超える。

 

小野木明恵 訳  


*カーツワイルは人間の脳全体の機能を人工的に実現するためには10¹⁵cps程度が必要であり、人間の機能的な記憶の容量全体は10¹³ビット(10兆)と見積もる。

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第3章

  人間の知能は、これからだんだんとわかっていくように、コンピューティングのプロセスのうえに成り立っている。人間の知能よりもはるかに大きい能力をもつ非生物的なコンピューティングを利用して、人間の知能を拡大し利用することで、われわれは最終的に知能のパワーを増大させることになる。よって、コンピューティングの最終的な限界について考えることは、実際には、われわれの文明はどういう運命をたどるのか、と問うているのと同じことなのだ。

 

小野木明恵 訳       

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第3章

  2030年代の初めには、1000ドルで約10¹⁷cpsのコンピューティングが買えるだろう(おそらく、ASICを用い、インターネット経由で配信されているコンピューティングを取り入れると10²⁰cpsあたりになる)。今日でも、年間1000億ドル以上をコンピューティングに使っており、2030年には控えめに見ても1兆ドルに増えるだろう。よって、2030年代の初めには、毎年、10²⁶から10²⁹cpsの非生物的なコンピューティングを生産していることになる。これは、おおよそ現存している全ての人間の生物的な知能の容量として見積もった値に等しい。
  容量ではわれわれ自身の脳と同等だといっても、われわれの知能に占めるこの非生物的な部分は、脳よりもさらに強力になるだろう。なぜなら、人間の知能がもつパターン認識能力と、機械がもつ記憶と技能を共有する能力や正確な記憶能力とが合体するからだ。非生物的な部分はつねに最高の性能を発揮する。この点は、今日の生物的な人間の特性と大きく異なる。現在での生物的な人類文明の能力は10²⁶cpsあるとしたが、これは十分に活用されていない。
  だが、この2030年代初めのコンピューティングの状況は、特異点ではない。まだ、われわれの知能を根底から拡大するまでには至らないからだ。しかし、2040年代の中盤には、1000ドルで買えるコンピューティングは10²⁶cpsに到達し、一年間に創出される知能(合計で約10¹²ドルのコストで)は、今日の人間の全ての知能よりも約10億倍も強力になる。
  ここまでくると、確かに抜本的な変化が起きる。こうした理由から、特異点——人間の能力が根底から覆り変容するとき——は、2045年に到来するとわたしは考えている。

 

小野木明恵 訳  

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第4章

  人間の脳のもっとも複雑な能力——わたしはこれがもっとも決定的なものだと思う——が、感情に関わる知能だ。われわれの脳の複雑で相互に連結された階層の最上部に不安定に位置するのは、さまざまある高次の機能の中でも、感情を知覚し適切に反応し、社会的な状況において互いに交流し、道徳観をもち、冗談を理解し、絵画や音楽に反応する能力だ。

 

小野木明恵 訳  

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第4章

  わたしの考えでは、アップロードのもっとも重要な点は、われわれの知能や個性や技能を、非生物的な知能へと、徐々に移し換えることだ。すでに、多様な人工神経装置の移植が実践されている。2020年代には、ナノロボットを使って、非生物的な知能で脳を増強させるようになる。まずは、感覚処理や記憶といった「定常的」な機能に始まり、技能の形成、パターン認識、論理的分析に進んでいく。2030年代には、われわれの知能の中に占める非生物的部分の割合が優勢になり、2040年代には、第3章で述べたように、非生物的な部分の性能のほうが何十億倍も高くなる。ある程度の間は生物的な部分を保持しようとするかもしれないが、そのうちに、それはたいして重要なことではなくなる。そういうわけで、われわれは事実上アップロードされた人間になる。たとえその過程が徐々に進み、移管にほとんど気づかなかったとしても。

 

小野木明恵 訳  

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第5章

  強いAIはひとたび完成すれば簡単に進化し、その能力を倍加し続ける。それが機械の性能の本質だからだ。ひとつの強いAlが強いAlを多数、誕生させると、生まれたAIは自分の設計にアクセスし、それを理解し、向上させ、さらに高性能でさらに優秀なAIへとまたたく間に進化する。このサイクルは永遠に繰り返される。各サイクルは一段と優れたAlを作りだすばかりか、技術進化(もしくはあらゆる進化のプロセス)の摂理に従い、それにかかる時間も短縮されていく。つまり、いったん強いAlが完成すれば、急速に超知能が高性能化し始め、その現象には抑えがきかなくなると考えられている。

野中香方子 訳  


*強いAI→人間の知能を超える人工知能という意味で使われている。   

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第6章

  歴史上、人間が寿命という限界を超えて生き続ける唯一の手だては、その価値観や信仰や知識を将来の世代に伝えることだった。今、われわれは存在の基盤となるパターンのストックが保存できるようになるという意味で、パラダイム・シフトを迎えつつある。人間の平均寿命は着実に伸びており、やがてその伸長はさらに加速するだろう。現在、生命と病の根底にある情報プロセスのリバースエンジニアリングが始まったところだ。ロバート・フレイタスは、老化や病気のうち、医学的に予防可能な症状の50パーセントを実際に予防すれば、平均寿命は150年を超えるだろうと予測する。さらに、そういった問題の90パーセントを予防すれば、平均寿命は500年を超える。99パーセントならば、1000年以上生きることになるだろう。バイオテクノロジーとナノテクノロジーの革命が完全に現実のものになれば、実質的にはあらゆる医学的原因による死をなくすことができると予想される。非生物的存在になっていくにつれて、われわれは「自分をバックアップする」(知識、技能、性格の基本をなす重要なパターンを貯蔵しておく)方法を手に入れ、たいていの死因は取り除けるようになるだろう。

 

野中香方子 訳  

 

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第6章

  バージョン3.0の人体は意のままに異なる形状へ変わることができ、大半が非生物となったわれわれの脳は、もはや生物としての限られた構造に縛られることはない。そうなると、人間とはなにかということが徹底的に問われるようになるだろう。ここに述べた個々の変化は一足飛びに起きるのではなく、一歩ずつ小さな歩みが続いた末にもたらされる。そうした歩みはせきたてられるようにして進んでいくが、一般に受け入れられるのもまた急速である。体外受精のような新しい生殖技術について考えてみればよくわかる。最初は論争の的になったものの、たちまち広く利用され容認されるようになった。その一方で、変化はつねに原理主義者とラッダイトの反動を呼び起こし、それは変化の速度が増すにつれていっそう激しくなる。しかし、見た目は論争を呼んだとしても、人類の健康、富、表現力、創造性、そして知識にとって、圧倒的な利益をもたらすものであることはたちどころに明らかになる。

 

野中香方子 訳   

レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」第8章

われわれが創造する非生物的な知能は、現在も将来も、われわれの社会に埋め込まれ、われわれの価値観を反映するだろう。生物的進化の極限期では、生物的知能と深く一体化した非生物的知能が生まれるだろう。それによって人間の能力は強化されるが、このより拡大した知能をどう使うかは、その創造者の価値観に支配されるだろう。生物的進化の極限期は最終的にはポスト生物の時代に道を譲るが、われわれの価値観は影響力を保つと期待できる。

 

福田実 訳  

オイゲン・ヘリゲル「弓と禅」

「あなた方も同じようにして下さい。しかしその際、弓を射ることは、筋肉を強めるためのものではないということに注意して下さい。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません。これができて初めてあなた方は、引き絞って射ることが“精神的に”なるための条件のひとつを満たすことになるのです。」

 

稲富栄次郎・上田武 訳  

オイゲン・ヘリゲル「弓と禅」

「あなたは何をしなければならないかを考えてはいけません。どのように放れをやるべきであるかとあれこれ考えてはならないのです。射というものは実際、射手自身がびっくりするような時にだけ滑らかになるのです。弓の弦が、それをしっかり抑えている親指を卒然として切断する底でなければなりません。すなわちあなたは右手を故意に開いてはいけないのです」

 

稲富栄次郎・上田武 訳