本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

柳田邦男「言葉の力、生きる力」

私の心には自分の境遇を幸福か不幸かという次元で色分けする観念も意識もない。あるのは、内面の成熟か未熟かという意識だ。そして、内面において様々な未成熟な部分があっても、あせることなく、人生の終点に到達する頃に、少しでも成熟度を増していればよしとしよう。      

柳田邦男「言葉の力、生きる力」より

(モーツァルトが父に宛てた、ウィーンからの手紙)


死は(厳密にとれば)ぼくらの生の本当の最終目標なのですから、ぼくはこの数年来、この人間の真実で最上の友人ととても仲良しになってしまったので、死の姿を少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を安め慰めてくれるものと考えているくらいです。     

J.デューイ「人類共通の信仰」

人間が、個人として、あるいは集団として、最善の努力をつくしたとしよう。しかしそうした場合でも、いろいろな時と所で、悲運と幸運、偶然と天命などといった運・不運を思いしらされる状況にでくわす。そうしたとき、男らしい人間は、何が何でも、自然の力や社会の力を人間らしい目的にむけようと努力しなければならない、それが人類の使命である、と強く主張する。だが、こうした努力の万能さを、無制限かつ絶対的に主張することは、知的な勇気というよりは、むしろエゴイズムである。

 

栗田修 訳    

J.デューイ「人類共通の信仰」

成立宗教は、自らが理想を独占し、またその理想を推進するための唯一の超自然的な方法をも独占していると、勝手に主張する。だが、自然界でなされる人間経験には、本来明らかに宗教的な価値がそなわっているのである。

 

栗田修 訳  

J.デューイ「人類共通の信仰」

我々を動かす目的や理想は、我々のイマジネーションによって生みだされるのである。しかしながら、それは空想的な素材から作られるのではない。目的や理想は、自然と社会においてなされる人間経験の世界がもつ確固とした素材から作りだされるのである。
・・・画家の場合も、音楽家の場合も、詩人の場合も、慈善家の場合も、道徳的予言者の場合も、皆事情は同じである。新しいビジョン(理想)は、無から生じることはない。それはもろもろの可能性を視野にいれて——つまりイマジネーションを働かすことによって——古い事物を新しく関係づけることから現れるのである。

 

栗田修 訳  

J.デューイ「人類共通の信仰」

今日生きている我々は、はるか遠い過去から続く人類の一部である。自然とずっとこれまで相互作用してきた人類の一部分である。文明の中にあるもので、我々が最も大切にするものは、我々自身が作ったものではない。大切なものは、過去から永々と続く人間共同社会の営みや苦労のおかげで、存在するものである。ちなみに、我々はその共同社会を連続させる一つの環(リンク)であるにすぎない。我々の責任は、我々が遺産としてうけついだ価値を保存し、伝達し、修正し、発展させることである。そうすることによって、我々の後にくる人たちに、我々がうけついだ遺産より、もっと豊かで確実な、もっと多くの人が利用でき、もっとたっぷり分かちあえる遺産を、伝えることである。

 

栗田修 訳  

オルテガ・イ・ガセット「形而学上講義」

我々の生は何にもまして、未来と遭遇することである。我々が生きる第一のものは、現在でも過去でもない。生とは、前方にむけて執行される活動であり、現在と過去は、未来との関係からは、その後に発見されるのだ。

 

杉山武 訳  

ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」第1部第5章

  簡単にまとめると、食料生産を独自にはじめた地域は世界にほんの数カ所しかない。それらの地域においても、同じ時代に食料生産がはじまったわけではない。食料生産は、それを独自に開始した地域を中核として、そこから近隣の狩猟採集民のあいだに広まっていった。その過程で、中核となる地域からやってきた農耕民に近隣の狩猟採集民が侵略され、一掃されてしまうこともあった。この過程もまた多くの時代にわたって起こったことである。最後に、環境的には非常に適しているのに、先史時代に農耕を発展させたり実践したりすることがなかった地域が世界には複数存在する。そうした地域の住民は、近世になるまで狩猟採集生活を営んでいた。つまり食料生産を他の地域に先んじてはじめた人びとは、他の地域の人たちよりも一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へと歩みだしたのであり、この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させ、その後の歴史における両者間の絶えざる衝突につながっているのである。

 

倉骨彰 訳    

ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」第2部第10章

  食料の生産を最初にはじめた地域のなかに、環境的に他の地域よりも食料生産に適した地域があったことはすでに指摘したが、食料生産が地域的に拡大していく過程においても、それが比較的容易であった地域と、そうでなかった地域が存在する。たとえば、環境条件に恵まれており、かつ先史時代に食料生産がすでにはじまっていた地域に隣接していながら、食料生産が先史時代に伝播しなかった地域がある。それがもっとも顕著だったのは、アメリカ合衆国西部でおこなわれていた農業と牧畜が、カリフォルニアの先住民たちに伝わらなかった例である。また、ニューギニアインドネシアの農業がオーストラリアに伝わらなかったのも、南アフリカナタール州からケープ州南西部に農業が伝わらなかったのも同様の例である。先史時代において食料生産が伝わっていった速度や、実際に伝わった年代も、地域によって大幅に異なっている。非常に速い速度で伝わっていったのは、東西方向に伝播していったときである。たとえば、西南アジアを起点として、食料生産は一年に約0.7マイルの速度で、西はエジプトやヨーロッパ、東はインダス渓谷まで伝播している。フィリピンからは、東のポリネシアへ年3.2マイルの速度で伝播している。これに対して、南北方向の伝播は速度が極端に遅い。メキシコからアメリカ合衆国南西部へは、年0.5マイル以下の速度でしか伝播していない——トウモロコシやインゲンマメは、年0.3マイル以下の速度でメキシコから北方に伝播していき、西暦900年頃にアメリカ合衆国東部で栽培されるようになった。家畜のラマがペルーから北方エクアドルに伝播していったのは、一年に0.2マイル以下という速度でだった。

 

農業が、北米やサハラ以南のアフリカ大陸に比べてユーラシア大陸で速く広がったことは、第3部で述べるように、この大陸で文字、冶金術、科学技術、帝国といったものが他の大陸よりもずっと速く広がったことに大きく関係している。

 

倉骨彰 訳  

ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」第3部第13章

われわれは、著名な例に惑わされ、「必要は発明の母」という錯覚におちいっている。ところが実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作りだそうとして生みだされたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考えだされている。また、一般大衆が発明の必要性を実感できるのは、それがかなり長いあいだ使い込まれてからのことである。しかも、数ある発明のなかには、当初の目的とはまったく別の用途で使用されるようになったものもある。飛行機や自動車をはじめとする、近代の主要な発明の多くはこの手の発明である。内燃機関、電球、蓄音機、トランジスタ(半導体)。驚くべきことに、こうしたものは、発明された当時、どういう目的で使ったらいいかがよくわからなかった。つまり、多くの場合、「必要は発明の母」ではなく、「発明は必要の母」なのである。

 

倉骨彰 訳    

ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」第3部第13章

  食料生産は、定住生活を可能にし、さまざまなものを貯め込むことを可能にしただけではない。食料生産は、ほかにも人類の科学技術史で決定的な役割を果たしている。食料生産は、人類史上初めて、農民に生活を支えられた、非生産民の専門職を擁する経済システムにもとづく社会の登場を可能としている。そして、本書の第2部ですでに考察したように、食料生産がいつはじまったかは、大陸ごとに異なっている。さらに、この章でこう考察したように、社会は、そこで独自に発明された技術だけでなく、他の社会から伝播した技術を使用し維持するものである。したがって、技術は、その伝播をさまたげるような地理的障壁や生態系の障壁が大陸の内外に少なかった大陸で早く発達した。また、さまざまな理由によって、社会の革新性は個々の社会によって異なるため、大陸に存在する社会の数が多ければ多いほど、技術が誕生したり取得されたりする確率も高くなる。技術は、すべての条件が等しければ、人口が多く、発明する可能性のある人びとの数が多い地域、競合する社会の数が多く、食料の生産性の高い広大な地域で、もっとも早く発達する。

 

  人類の科学技術史は、こうした大陸ごとの面積や、人口や、伝播の容易さや、食料生産の開始タイミングのちがいが、技術自体の自己触媒作用によって時間の経過とともに増幅された結果である。そして、この自己触媒作用によって、スタート時点におけるユーラシア大陸の「一歩のリード」が、1492年のとてつもないリードにつながっている——ユーラシアの人びとがこういうリードを手にできたのは、彼らが他の大陸の人びとよりも知的に恵まれていたからではなく、地理的に恵まれていたからである。

 

倉骨彰 訳  

 

ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」第3部第14章

  このように、食糧生産と社会間の競合が大本の原因となって、詳細において少しずつ異なるものの、いずれも人口密度の高さと定住生活が関与する原因結果の連鎖がはじまる。そして、その過程を通じて、疫病をひき起こすような病原体が現れ、文字が発明され、さまざまな技術革新が起こり、集権化された政治組織が登場したことが要因となって、征服という行為が可能となった。しかし、この連鎖のもともとの原因や、征服を可能にした要因は大陸ごとに異なる経過をたどって出現している。したがって、征服を可能にした四つの要因は、互いに関連性を持って登場する傾向があるが、その関連性は強力なものではない。

 

倉骨彰 訳    

ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」第4部第19章

  アフリカとヨーロッパの衝突の結果が、ヨーロッパ人のアフリカへの入植になったことの直接の要因ははっきりしている。ヨーロッパ人は、アメリカ先住民に遭遇したときと同様、アフリカ人に対して三つの点で優位に立っていた——彼らは、銃をはじめとする技術を発展させていた。字を読み書きする能力も広く普及していた。探検や征服に要する莫大な資金を提供しつづけることのできる政治機構がすでにできあがっていた。

 

  それは、これまで考察したとおり、食料の生産がそれらの三つの要因の発達を可能にしたからである。そして、アフリカには栽培化や家畜化可能な野生祖先種があまり生息していなかった。食料の生産に適した土地があまりなかった。さらに、南北に長い陸塊であったため、食料生産や発明が拡散しにくかった。こうしたことが原因となって、サハラ以南では、ユーラシアより食料が生産されるようになるのが遅かった。

 

  結論を述べると、ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるように、ヨーロッパ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然と生態的偶然のたまものにすぎない——しいていえば、それは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の広さのちがい、東西に長いか南北に長いかのちがい、そして栽培化や家畜化可能な野生祖先種の分布状況のちがいによるものである。つまり、究極的には、ヨーロッパ人とアフリカ人は、異なる大陸で暮らしていたので、異なる歴史をたどったということなのである。

 

倉骨彰 訳     

 

ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」エピローグ

取るに足りない特異な理由で一時的に誕生した特徴が、その地域に恒久的に定着してしまい、その結果、その地域の人びとがもっと大きな文化的特徴を持つようになってしまうことも起こりうる。これが可能なことは、他の科学の分野では、最初の小さな差異が時間とともに大きく変化し、予測不能な振る舞いをすると唱える「カオス理論」が示している。こうした文化的特徴は、いわば、歴史自身が手にしているワイルドカードである。そして、歴史の予測不能な側面は、このワイルドカードのなせるわざでもある。  

 

倉骨彰 訳